中学生や高校生にも多い水虫_恥ずかしくて隠したい体験談

最近では中学生や高校生にも多い水虫!もちろん自衛隊や看護師さん介護士さんにも!いつ、どのようにして感染したのか、水虫になって恥ずかしかったことは?友人や恋人に隠す方法やどのようにして治したのかについて、体験談を集めました。

小学生でも水虫になります_私が水虫を治した昔ながらの方法

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小学生だった私が水虫になった原因

私が初めて手のひらに異変を感じたのは、小学生の時でした。まだ小学校低学年、二年生ぐらいの頃でしょうか。手のひらに小さくて白い水膨れのような湿疹がいくつもでき、痒みは無かったのですが、いつの間にか水膨れの皮が破れ、ポロポロと手の皮が剥がれるようになったのです。
しかし私はまだ8才程度、痛くも痒くもないので全く気にせず、毎日を過ごしていました。ところがある日、手のひらだけでなく、足の裏にも水膨れのようなものができ始めたのです。こちらは何故だか夜になるととても痒く、特にお風呂上りは痒くて掻きむしっていました。恐らく血行が良くなって痒くなっていたのだと思います。
そんな娘の姿に気が付いた母親が、翌日学校を休んで皮膚科に連れて行ってくれました。「水虫ですね」という医師の言葉にビックリしていた母の姿は未だに良く覚えています。
病院から帰ったその夜、家族全員の手のひら、足の裏チェックが行われました。幸い家族は誰も感染しておらず、その後母から質問攻めにあいました。学校で同じような子がいないか聞かれ、私はハッとしました。随分と前から仲良しの女の子が、私と同じように手に水膨れを作っていました。彼女は近所に住んでいたので、いつも手を繋いで登下校していました。母から、「もうその子とは絶対手を繋いじゃダメよ」と言われるも、まだ幼かった私は何故だかよく分からず、相変わらず仲良く手を繋いで登下校していました。

 

祖母直伝の伝統的な水虫治療方法

皮膚科でもらった薬をすっかり使い切っても症状は改善せず、相変わらず手のひらに水膨れを作っている娘に、母はほとほと困っているようでした。私は事の重大さなんてちっとも分からない年齢で、毎日仲良く手を繋いで登下校していました。
そんなある日、同居する祖母が何やら臭いバケツを持って、テレビを観ている私のもとに現れました。何かと思うと、バケツの中身はお酢でした。祖母はなんと、このお酢が入ったバケツの中に、手足を浸けろと言うではありませんか。私はお酢の匂いが苦手で、嫌だと抵抗するも虚しく、あっさり持ち上げられて足をお酢に浸けられました。最初はゾッとしましたが、慣れてくると足湯ならぬ足酢で、バケツのお酢に足を浸けながらテレビを観たりしていました。
だいたい30分程度でしょうか。足の裏や手のひらがふやけるまで浸け、これを毎日続けていました。祖母曰く、生前の祖父がしょっちゅう水虫になる人で、その頃は専用の薬なんて無かったから、桶にお酢を張っては浸けていたらしいです。
母は当時のことを、「皮膚科に通い続けることなんて無理だし、家計が苦しかったから、市販の薬なんてずっと買い続けられないし、娘は言うこと聞かないし、本当に助かった」と祖母に感謝していました。
そんなことなどつゆ知らず、小学生の私は毎日、感染源である友人と手を繋いで登下校し、毎晩お酢に手足を浸ける生活を送っていました。

 

一番頼れるおばあちゃんの知恵袋

それから半年程度でしょうか。私は毎日バケツのお酢に手足を浸し続け、手はほとんど完治し、足もほぼ完治しかけていました。
今になって思うと、何よりも効果的だったのは、仲良しの友人が治療し始めたことでした。恐らくご両親が気付いたのでしょう。彼女の方から、「私、手にお薬塗ってるから、手が繋げないの、ごめんね」と。その日から私達は、仲良く腕を組んで登下校するようになりました。
それから私は急激に良くなり、毎日の足酢は毎週一回になり、毎月一回程度になりました。祖母曰く、完全に治ったと思っても菌が完全に死滅するには時間がかかるから、しばらくは定期的に浸けなさい、とのことでした。
しかし小学校3年生になる頃にはもう完全に治り、バケツにお酢を張ることも無くなりました。
私ももう、あの頃の母の年齢になりましたが、未だに一度も再発したことはありません。今はきっと市販でももっと良い薬がたくさん出ているのでしょうが、聞き分けの悪い小学生だった私にとって、祖母のお酢の力は水虫治療に一番持ってこいの方法でした。副作用として、二十歳になるくらいまで酢の物が苦手になったぐらいでしょうか。
そんな祖母ももう90才近くになりました。未だに元気でピンピンしているのは、昔ながらの知恵があるからかもしれません。